新米パパたかしの奮闘日記

どうも、たかパパです。ママと6歳の息子と2歳の娘と暮らしています😁まだ新米のパパですが父親としてブログを通して勉強していけたらと思っています。ブログも始めたばかりなのでこちらも勉強しながら運営していけたらと思います。宜しくお願い致します😁

自分から進んで勉強する子の育て方

🐼

私     「宿題をしなさ〜い!」

 

息子  「後からやる!」

 

なかなか宿題を始めない息子

(T_T)

 

そんな時は、必殺〜!

 

 

 

( ´ ▽ ` )

 

 

 

 

「お菓子」でつります

( ̄∀ ̄)

 

一筋縄ではいかない息子に「喝!」

 

 

 

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親に「やらされていること」は身につかない

 

誰でもそうですが

「楽しい〜」と思うことは

放っておいてもやるものです。

子どもを見ていると、

お絵描きやゲームなど、

放っておいても夢中になって

やってます。

 

それは、子どもが自発的に

その活動に取り組んでいるからです。

 

子どもは小さい時は、学ぶことが大好きです。

それが、言葉であれ、

楽器であれ、

自転車に乗ることや鉄棒の逆上がりであれ、

意欲的に新しいことを

どんどん吸収していきます。

 

ところが、親から

「これから15分間、鉄棒の逆上がりの練習をしなさい」

などと言われたらどうなるでしょうか?

とたんにヤル気をなくしてしまいます。

人は何かを「やらされている」

と思った瞬間に、

ヤル気をなくしてしまうものです。

 

僕も子どもの頃に

勉強をしようと思っていた矢先に

親から「勉強しなさい!」と言われたとたんに

気分が萎えてしまいました。

思わず「うるさいな!」と

反発してしまいました。

(>人<;)

 

これは何故かというと、

私たちの中に「自律心」があるからです。

自分の行動を決定するのは

自分自身であることを、

私たちは潜在的に知っているのです。

 

なぜ親は、子どもに

勉強してほしいと願うのでしょうか?

 

子どもに勉強してほしいと願う理由を

追求していくと、

「子どもの将来を心配する気持ち」が

根底にあるのではないかと思います。

 

しかし、

世の中で偉業を成し遂げている方々は

必ずしも高学歴というわけではありません。

 

学業の成績と、

社会での成功や個人の幸せは、

必ずしも直結していない。

そのことを親である私たちは

しっかり認識しておく必要が

あるのではないかと思います。

 

もちろん、

勉強に真剣に取り組むことで

得られる副産物はあります。

それは、

忍耐強さ、

勤勉さ、

集中力といったものです。

 

でも、学校での勉強が、

ものごとを独創的に考えられる思考力や、

何か新しいものを生み出す創造力などを

育んでくれるとは必ずしもいえません。

 

ですから、

「子どもに勉強させること」を考える前に、

その勉強が子どものなんのために

必要なのかということを考えましょう。

 

知性というのは多面的なもの。

学校では分析的な思考に重点をおき、

数学や言語、記憶に強い生徒が

「優秀」とみなされる傾向にあります。

でも知性には

情緒の豊かさ、

審美眼、

クリエイティビティ、

社会性、

身体的パフォーマンス…など

さまざまなものが含まれます。

 

 

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「勉強は楽しい。でも勉強がすべてじゃない」

とおしえる

 

子どもは

それぞれ異なる個性を持って生まれてきます。

勉強ができることだけが、

その子の良し悪しを決めるのでも、

その子の豊かな将来を決定するわけでもありません。

 

社会が本当の意味で豊かになるには、

個性豊かな個人がそれぞれの分野で、

独自の才能や資質を活かして

活躍することが不可欠です。

 

そういう視点で「子どもの勉強」を

とらえられるようになったら、

親も、よりリラックスした姿勢で

いられるのではないかと思います。

 

そのうえで、

自分が勉強をしてきて良かったと

心から思うのであれば、

その気持ちを子どもに伝えたらいいと思います。

 

それと同時に

「学校の成績だけが全てじゃない」

ということも伝えていければいいなと。

 

勉強がどれだけできても、

人の心の痛みがわからなかったり、

家族の一員として果たすべき役割を

果たせなかったりするほうが問題だと思います。

 

自分から勉強する子に育てるためには、

やみくもに「勉強しなさい」と

親が言わないことです。

子どもに勉強してほしいという気持ちが

親のエゴからくるものであれば、

それを子どもは敏感に察知します。

「勉強しなさい」と言うよりも、

勉強する楽しさや喜びを子どもと

「共有」することです。

親が学ぶことの楽しさを身をもって示す。

そうすれば、

子どもの中で勉強は

「やらされる」から「やりたい」ことに

変わっていくでしょう。